第一章 〜同じ空 居ない君〜 「なんですって!?」 ロイの頭の中が一瞬真っ白になった。 ルキの両親はゆっくりと、静かに言った。 「ルキが誘拐された。」 ロイはいつも必ずドアをたたいて現れるルキが、今日は来なかったことに不安を覚え、ルキの家まで様子を見に来ていた。 道中、ルキはどうしたんだろう?珍しく寝坊か?それとも昨日はしゃぎすぎたから体調でも崩したのか?まったく、お節介なヤツだな、とか思いながらやってきたのだ。 しかし、ロイの考えはどれも正解ではなかった。 風邪でも頭痛でも、ましてや寝坊でもなかった。 ―よりにもよって誘拐だって!?― ロイは思わず胸にぶら下げてきた昨日ルキからもらったばかりのあのお守りに触れた。 ―これがあったなら!― どうやらこのお守りは本当にルキを守ってくれるようだ。でもルキが持っていなくては効果は現れないのだ。 「くそっ!」 ロイは毒づいた。 「今朝、ルキがいつも通りあなたの家へ行った五分ぐらい後に、村の人が駆け込んできてね、ルキが...あの子が攫われたって...」 ルキの母親が耐えかねたように泣き崩れた。父親は彼女の肩を抱きながら 「ルキを攫ったヤツはわかってるんだ...」 と言った。 「だ、誰なんです!?」 「ザキルだよ」 「!!」 ザキルだって!? ますますヤバイじゃないか! 「...知っているんだね」 「知らないはずがありません!!」 ザキルとはこの村の、いや、この国中で一番厄介な盗賊だ。 腕が良くて、王宮の宝物も盗まれたことがある、という噂を聞いたことがある。 だが、もっと厄介なのは腕ではなく... 「死の森だよ。」 おじさんがまるでこちらが考えていた事がわかったかの様に後を続けた。 そう、そのザキルがなかなか捕まらない最大の原因は、魔物の巣窟といわれる『死の森』にアジトを構え、盗みがない限りほとんどそこから出てこないからだ。 『死の森』と言われる通り、そこで迷ったら最後、二度と生きて出られないと恐れられているため、誰も中まで入っていけないのだった。 「...ザキルの目的は何ですか?」 あのプライドの高いザキルのことだ。金なんかは要求しないだろう。 ザキルは金より宝石、特にダイヤやルビーといったありふれたものよりも、もっと希少価値が高いもの、それに世の中には二つとない、いわば“唯一のもの”を手に入れることを目的とする。 だがこの家にそんなお宝など... 「――まさか!!」 ぎゅっと胸のあたりをつかむ。 「アイツはもしかしてこれを――ルキがいつも身に付けていたこのお守りを...?」 「ああ、きっとそうだろう...。しかし当のルキはそれを身に付けていなかった。何故なら君が...持っていたからね。」 おじさんは静かに言った。 「仕方がないからルキを人質にしてそのお守りと交換するつもりなのだろう。もうすぐ連絡が来るんじゃないか?...」 と、見計らったように一羽の鴉が開いていた窓から入り込んできてテーブルの上へ降り立った。よく見ると足に手紙を結んでいる。 「そら、おでましだ。」 内容はほとんどおじさんの言っていた通りだった。但し、交換場所はこちらではなく、向こうの陣地、つまり『死の森』のアイツの館でだ。そして―― 「向かうのは...俺一人」 「...何ということだ...あの森へ入ったら二度と出てはこれないのだぞ。そこへたった一人で来いだって!?...ロイ」 おじさんはすごく苦しそうな顔でロイの肩を抱いた。 「...私たちはお前を、あの時から息子同然のように育ててきた...」 おじさんは途中で言葉を切って俯いた。肩が震えている。 下を見ると床が黒いシミを作っている。 ――泣いているのだ。 「...おじさん」 ロイはそっとおじさんの手を離した。 「俺、行ってきます」 おじさんは、はっと顔を上げた。 「駄目だ!危険すぎる!」 「でも!でもこのままじゃルキは...!...それに、俺はもう“子供”じゃない。立派な...“大人”なんですから。」 「...」 「大丈夫。すぐに戻ってきます。...もちろんルキと一緒に。」 ロイはおじさんに微笑みかけた。心の中は全然大丈夫ではなかったけれど。それでも... しばらく沈黙が続いた。 「...わかった。頼む...」 「はい」 「約束だ。...必ず、ルキを連れて、ルキと一緒に、無事に帰って来るんだよ?――この家に。」 「はい。約束します。」 ロイとおじさんはしっかりと握手をした。長い握手だった。 「じゃあ、いってきます。」 「ああ、死ぬなよ」 「はい」 そうしてロイは一度自分の家に戻り、身支度をして、村を出た。 『死の森』へは村から約半日ほど歩かなければならない。 森に到着したころにはもう辺りは暗くなっていた。 ロイはふと空を見上げた。 ――そういえば、昨日もこうやって空を見上げてたっけ...―― 今日も空にはいっぱいに星がきらめいている。 昨日と変わらずに。 「昨日と変わらないはずなのに、まさかこれから『死の森』に入るなんて、夢にも思わなかった」 ロイは一人ごちた。 「もしかしたら、これが最後の見納めかもしれないな...」 その時、視界の隅で星が一つ瞬いたのが見えた。 なんだか励まされたような気がした。気のせいだが。 それでもロイの心の中の暗闇は少しだけ明るくなったのだ。 「よし!」 視線を地上に戻し、目の前の真っ黒な森の入り口を睨む。 「ぐずぐずしてらんない。タイムリミットは書かれてなかったけど、そうそう向こうさんも長くは待ってくれないだろう。一刻も早く館に着かないと」 ロイはぐっと拳を握り締めて、自分自身に号令を下した。 「行くぞ」 力強く歩き出す。 もう後戻りは出来ない。 ロイの姿はすぐに森の暗闇に呑み込まれ見えなくなった。 どこかで鴉が啼いていた。 |